YS-11は日本航空機製造が製造した戦後初の国産旅客機です。
1962年に初飛行し、1964年に就航し試作2号機は全日空にリースされ東京オリンピックの聖火を全国に運びました。
また試作2号機は1965年4月1日、日本国内航空により東京-徳島-高知線で初の定期路線に使用された機体になりました。
1965年からは量産機の納入が始まり、量産1号機が3月30日に運輸省航空局に納入され、4月10日に量産2号機が東亜航空に納入されました。
合計182機(国内民間機75機、官庁34機、輸出13カ国76機など)が製造され、1973年に生産終了となりました。
YS-11は戦後復興を象徴するものとして、2005年にはNHKのプロジェクトXにも取り上げられています。
しかし営業的には日本製の信頼がなかった時代でもあり海外輸出に苦戦し、値引きを強いられるなど成功とは言えませんでした。
1983年に日本航空機製造は解散し、アフターサービスは業務を譲渡された三菱重工業が請け負っています。
営業的な問題はその後継機開発にも影を落とし、実質的な後継機は2015年に初飛行し開発中の三菱スペースジェット(旧名 MRJ 三菱リージョナルジェット)まで待たねばなりませんでした。
YS-11の基本設計は軍用機的な丈夫なもので、現在でも現役で飛行する機体もあります。
継続していればその後のプロペラ機の需要を考えてもコストも下がり、日本の航空産業も違ったものになっていたでしょう。
YS-11は2006年に民間での旅客機運用を終了し、2011年海上保安庁の機体も退役、2014年海上自衛隊の機体が退役しましたが、航空自衛隊では現役で使われています。